葛藤をしつつも、娘・梓さんのアトピーや食物アレルギーに、逃げずに向き合ってきた井上さん親子。生活上の工夫や悩み、心の動きなど、その軌跡をたどります。

井上 智子 さん(仮名)
50代、会社員。20年ほど事務を担当。梓さんの乳児湿疹のような症状に異変を感じて受診。最近は、親離れした娘に寂しさも。
井上 梓 さん(仮名)
20代、会社員。工場での現場作業も。0歳のときアトピー性皮膚炎を発症。症状には波があるものの、ほどよい距離感で付き合っている。
history
0歳 | 乳児湿疹のような症状が治らず、ずっと下痢気味だった。下痢は母乳によるアレルギー反応と判明。 |
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保育園 | アレルギー対応粉ミルクに置き換え。卒乳後は、完全除去食のお弁当を持参。喘息も発症。 |
小学生 | 症状が落ち着いたため外用薬はあまり塗っておらず、ひどい時に部分的に塗布する程度。 |
中学生 | ソフトテニス部の部活で右親指の付け根のひどい肌荒れに悩む。化繊の制服や体操服も肌への刺激に。 |
高校生 | 高校卒業まで親子で通院。お薬や出先での食事、日常生活など、ほぼ自分で管理していた。 |
思い通りに良くならない、ずっと付き合う病気
生後すぐにアトピー性皮膚炎だと判明した梓さん。「物心ついた時には、かゆいことが当たり前になっていました。特に冬は、乾燥してかゆくてイヤだなと感じても、ずっと付き合っていかないといけないのだなと思う。この繰り返し。生まれた時からずっとアトピーだったので、自然とそう考えるようになりました」。
お母さまの智子さんは梓さんのアトピー性皮膚炎を、長い付き合いになるけど、結果的に良くなってくれたらいいな、と思ってきたそうです。「蚊にさされただけでもかゆいのに、この子はどれほどかゆいんだろうと想像すると、つらかったですね。“お母さんが頑張れば良くなるよ” と言う人もいますが、個人差もあるので、頑張ったからといって良くなるものでもないのに、と傷つくこともありました。早く治そうと焦っても思い通りに良くはならないので、この子が心地よく過ごせるようにしていければいいかなと思っていました」。

学校行事はしっかり対策。制服は肌触りを良くする工夫を
小学校に入ると、学校のお泊り学習や修学旅行での対策に苦労することも多かったとのこと。「ダニ、羽毛、動物、殺虫剤や食べ物のアレルギーもあり、大変でした。旅行会社の担当者にいろいろ依頼していたら、“そんな個別対応はできない。塩おむすびだけになるかも” と言われ、旅館と直接交渉したこともありました」と智子さん。宿泊先で異変があった時すぐに駆けつけられるよう、夜は自宅で身構えていました。
中学校は化繊の制服だったので、肌に合わず苦労をしたのだとか。梓さんは、「プリーツスカートのヒダが膝裏に当たるとかゆく、タイツもかゆくなるので履けませんでした。スカートはオールプリーツなので裏側にあて布をするのは難しく、お母さんがスカートを煮沸して柔らかくしてくれました。体操服もかゆくなるので、綿の丸首シャツを着ていたと思います」。
梓さんは困っていても自分から言い出せない性格で、小学校で喘息の発作が起きて苦しくてもはじめの頃は先生に言えなかったようです。でも「自分から発信していかないと伝わらないんだ、自分だけで気を付けていてもだめなんだな、と気づきました」。

アトピー性皮膚炎を理由に制限せず、応援するように
アトピーだからと心配するなかで親子関係にも、徐々に変化が現れていきました。「娘が、たとえば犬を飼いたい、友達とバス旅行に行きたいなど、何かしたいと言うたびに、私はすぐ警戒してしまって。そのたびに、“じゃあ、私は一生アトピーだから、アレルギーだから、何もしてはだめなの?”と言われました。いつもこの言葉が心にずんと響いていました。たとえばペットを飼わないことも、娘を言い訳にしている部分があったのかもなあと。“応援する側に回らないといけないな”と思うようになりました」。
梓さんは在学中に1年間のカナダ留学にもチャレンジ。「アトピーを理由にして、やりたいことを諦めたくないと思いました。母は心配していたので、安心してもらえるよう、説得することに力を注ぎましたね。税関で薬のことを聞かれたときのために、先生に英語で書いてもらった紙を手に握りしめていました」。また、智子さんが投薬やスキンケアの管理をしっかりしてくれていたことを見ていたので、自分でも自己管理ができるようになったことが、良かったと語ります。「正直、アトピーだったことで良いことのほうが少ないかも。でも病気だからこそ、人の優しさに触れることも多かったです。“これだったら食べられる? アトピー大丈夫?”とか言ってくれる人は、信頼できると感じます。そう、アトピーは、人間関係のフィルターのような存在かもしれません」。「今にしてみれば娘との通院の日々は貴重な時間でした。洋服も、本当なら友達と買いに行くんでしょうが、服の素材が他の子とは違うので一緒に選ぶことが多かったな。その時間が今では良い思い出です」と智子さん。
親子で積み重ねてきた時間という確かな後ろ盾があるからこそ、しっかりと自分の道を歩き始めた梓さん。そこには、娘をそっと見守る智子さんの姿がありました。

Q & A
- 食事のアレルギー対策は?
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母がしっかりと管理をしていました
給食の献立と同じものを、完全除去食のお弁当で用意するなど、智子さんが管理していました。おかげで、アナフィラキシーは一度も起こしていません。
- 兄弟への影響はありましたか?
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体操服が黄ばんで嫌がられたことも
蛍光漂白剤無配合の洗濯洗剤を使っていたので、体操服が黄ばんできてしまい、兄に嫌がられたことも。梓さんの衣類以外は、普通の洗剤で洗うようになりました。
- 通院はどうしていましたか?
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高校まで一緒に通院していました
小学校の時は学校へ迎えに行き、毎月一度、片道1時間かけて通院。今日あったことを話すなど、とても貴重な時間になっていました。
特定非営利活動法人 日本アトピー協会患者さんとご家族をサポートするため、情報発信や相談業務などを行う

代表理事
倉谷 康孝さん
日本アトピー協会は、アトピー性皮膚炎の正確な情報を、webサイトや通信誌などで発信し、電話やメールによる相談も受け付けています。こうした活動からわかったのは、小児のアトピー性皮膚炎の親子は、親が過干渉になりやすいということ。学童期に入ったら薬の塗布や保湿など、自分でできることを増やし、独り立ちさせるようにしてあげてほしいですね。
について
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こちらのインタビューは「& magazine」Vol.7に掲載しております。
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Vol.7
(8.9MB)